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  「社会を動かすキーワード勢力マップ」を更新しました。

2019/02/12

ニュース検索数分析


「千葉の女児虐待事件」+「自他を幸せにする挨拶の偉大な力」=「私の問題」
         
“挨拶は社会をよくする最初で最大の一歩”



ニューストップ10を挙げると以下のようになる。
①社会-「ZOZO前澤社長 “1億円お年玉”に550万円応募」 -検索数 6,626,010 件
②芸能-「嵐 衝撃活動休止宣言」            -検索数 6,622,969 件
③スポーツ-「箱根駅伝 東海大 初の総合優勝」      -検索数 6,548,075 件
④芸能-「紅白歌合戦 サザン・ユーミン夢のコラボ」   -検索数 5,191,910 件
⑤スポーツ-「横綱 稀勢の里涙の引退会見」        -検索数 4,084,800 件
⑥スポーツ-「大坂なおみ グランドスクラム連覇」    -検索数 3,755,616 件
⑦スポーツ-「大坂なおみ 夢の世界ランク1位」      -検索数 3,205,651 件
⑧スポーツ-「吉田沙保里 笑顔の引退会見」       -検索数 2,732,598 件
⑨スポーツ-「森保ジャパン アジア杯準優勝」       -検索数 2,631,705 件
⑩気象-「熊本で震度6弱 九州新幹線 緊急停止」      -検索数 2,576,002 件

100位以内を関連すべてをまとめると、「森保ジャパン」の検索数が732万を超え際立っている。

ニュース項目をカテゴリーの割合で俯瞰すると、
前回は ①社会   ②スポーツ ③芸能 ④政治   ⑤気象 ⑥国際情勢 ⑦経済
今回は ①スポーツ ②社会   ③芸能 ④国際情勢  ⑤気象 ⑥政治   ⑦経済 となった。

1位「スポーツ」 
ニュース件数-25件、 検索総数-37,003,457  ニュース1件平均検索数-約150万件
スポーツは前回占有率を24%で常勝1位を社会に大差をつけられて明け渡していたが、
今回は8ポイントアップの32%でランキングトップに復帰している。
上位を関連でまとめると、「森保ジャパン」、「大坂なおみ」、「箱根駅伝」、「稀勢の里」、「吉田沙保里」
の順となり、注目されている事案が順当に検索されており、
森保ジャパンの活躍、大坂なおみの優勝のインパクトは大きい。

2位「社会」 
ニュース件数-39件  検索総数-34,863,934  ニュース1件平均検索数-約90万件
社会は、占有率31%で僅差2位。
前回からの占有率13%急落の要因は、スポーツでの、「森保ジャパン」、「大坂なおみ」の活躍に他ならない。
今回の上位を挙げると、ダントツの「ZOZO前澤社長」を筆頭に、「ゴーン被告」、「新年一般参賀」、
「小室圭さん」、「新成人」と続いている。
概ね平穏なニュース優勢であるが、「千葉小4女児死亡 傷害の疑いで父親逮捕」という痛ましい事件がまた起きている。

3位「芸能」
ニュース件数-18件 検索数-23,570,055  ニュース1件平均検索数-約130万件
芸能は前回に比べ、6ポイントアップの21%で3位となった。
昨年の6月ぶりに20%台に回復したことになる。
上位ニュースをみると、「嵐 衝撃活動休止宣言」、「紅白歌合戦 サザン・ユーミン夢のコラボ」、
「市原悦子さん 最期まで現役貫き 死去」となっている。
「嵐」の検索数が、「紅白歌合戦」を150万近く上回っており、芸能20%台回復の大きな要因となっている。
タレント「嵐」の力か、メディアの力か?

4位以降、省略。

まとめとして、
今回は、この同じ社会で生きていく我々にとって、他人事ではないと思われるので、
「社会」の中の「千葉小4女児死亡 傷害の疑いで父親逮捕」のニュースに注目してみたい。

自らの子供を死に至らしめる、体罰、虐待を親が継続的に与えていたという、社会が震撼とすべき事件だが、
この事件に対し、真に社会が震撼とすることが出来るなら、まだこの日本の社会にも希望が持てそうだが、
今回も、今までのように、しばらくすれば、きれいさっぱりに過去のニュースとして忘れ去られてしまうかもしれない。
昨年の3月にも、同じように5歳の女児が親からの虐待で亡くなっている。
ニュースとなったこの事件は氷山の一角にすぎない。
われわれは、これらの社会的傾向をどう理解し、向き合えばよいのだろうか。

「親のわが子に対する虐待」の問題は、要因として大きく3つに分けられるのではないだろうか。
第一に、虐待する親本人の問題、第二に児童相談所をはじめとるる関係者、関係機関の問題、
そして、三番目に最も重要な「事件を生んでしまう」社会背景。

第一の本人の問題は、自己責任のはずだが、本当にそうであろうか。
もちろん基本的に親本人の問題でもあるが、それだけかということである。
そして親を罰せれば、親の虐待は少なくなるのであろうか。
自己責任というと、「あなたの現状は自己責任」的な小泉元首相を思い出してしまう。
親が自らの子供に対し、死に至らしめるほどの虐待をするというのは、どういうことだろうか。
明らかにおかしい、異常としか言えないのではないか。
異常な人に、正常な人への対応は現実的にほとんど意味をなさないし、事態を悪化させる恐れがある。
残念ながら、今回はこのケースとなった。
また、本人である父親はやさしい人であったが、結婚後豹変したという情報もある。
元々異常性があったのか、ある時点から異常になったのか、
どちらにしろ、わが子を愛情の対象にできないのは普通ではない。
少ない情報、通り一遍の拙速な、他人事の判断で、
われわれは、親本人だけが悪いとして片づけてしまっていないだろうか。

次に第二の関係者・関係機関の問題。
この問題は、第一の本人の問題での事柄と関係する。
児童相談所の担当者の対応に問題があったのは、明らかだが、何が問題だろうか。
担当者が真に子供を助けようとしていたのか、単にマニュアル対応をしていただけなのだろうか。
担当者に子供を助ける意志と能力があったのだろうか。
担当者個人の問題だけだろうか、組織の問題として機関はどうかかわっていたのだろうか。
千葉県野田市の首長に責任はないのだろうか。公的な発言されているのだろうか。
単に、担当一組織の問題だろうか、上位機関、自治体、行政、他関係するあらゆる機関・組織は
どう対処し、今回の事件に対しどう対応しようとしているのか。
そもそも、それぞれの組織の関係者に、子供を助ける意志と能力はあるのだろうか
この親の虐待問題の行政上、議会、メディアを含め、関係者は、この問題対応を持続できるのだろうか。
そもそも、関係者は、「よく生き、ともに生きる」社会をめざしているのだろうか。
疑問はとどまらない。
更に云えば、社会学者、精神科医、その他の関係者は、社会や子供たちの痛みにどれだけ向き合っているのだろうか。
多くの関係者にとって、社会的役割としての仕事は、単に生活の手段でしかなくなっていないだろうか。

最後に第三の問題、「事件を生んでしまう」社会背景。
この社会背景は、第一、第二の問題にも、もちろん関係する。
近年の日本人の他者への無関心の傾斜が著しいと思われる。
地域のコミニティーが成り立たなくなっている。
過って美徳であった繊細で控えめな日本人の特質が、マイナス方向に表れはじめているのかもしれない。
急速な経済成長や都市化が著しい現代の日本人は、
他者、社会への配慮とから、コミニケーション力という点で、脆弱になっているような気がする。
例えば欧米人と比べて、大まかな傾向を象徴的に整理してみよう。

歩いていて、
 前方からの人にぶつかりそうになたった時、欧米人は余裕をもって避け、我々日本人は直前まで避けないか、
 ぶつかるのを避けない。
 ぶつかったときには欧米人は心から謝り、我々日本人は睨みつける。
車を運転していて、
 一時停止をすると、会釈をして感謝の意を示す欧米人、当然として、意に介さない日本人。
電車に乗っていて、
 老人や障碍者が立っていても、、欧米人は席を譲ろうとするが、我々日本人は気が付かない、または無視する。
挨拶
 無関係でも、笑顔で会釈をする欧米人は多い。
 我々は関係なければ、まず挨拶はしないし、ましてや笑顔はありえない。
 また関係者に対しても笑顔での挨拶は特別なような気がする。

これらの行為・態度の問題点は我々日本人自身の問題なので、
お叱りを受けるのを覚悟で、敢えて辛口にしておきたい。
多くの日本人は、思わず自問せずにおれないのではないだろうか。
このような欧米人と日本人どちらが心豊かで、幸せであろうか。
答えはいうまでもない。

われわれは、配慮し、助け合う民族ではなかったのか。
なぜ日本人はこうなのだろう、いつからこうなったのだろうか。
大まかに考察してみたい。

以前に比べ、現代日本では、他者・社会の痛み、苦しみに対して、無感覚、無関心の傾向が強まっている。
もちろん、日本だけということではないだろう。
著しい都市化、経済効率優先の国や社会では少なからずこの傾向はあるに違いない。
この他者・社会への無感覚、無関心が、
「子に対する親の虐待」を醸成する背景となるとなっているのではないだろうか。
そうであれば、なぜそうなのか。
他者や地域への無感覚、無関心が、ストレス社会を醸成し、
ストレス社会は個人から、自信や余裕、生きる喜びを奪っていくのではなないか。
そしてそれらが、他者や地域への無感覚・無関心を醸成していく。
今回の事件の背景は、おそらく、このことと無関係ではないだろう。

かつて社会では、家庭が貧しく、余裕がなくとも、子供たちを取り巻く地域がフォローし、
育てる機運があったと思う。
親もとことん追いつめられることも少なかっただろうし、地域とか周りが最後の余裕につながったに違いない。
いまでは、そのコミュニティー・地域の役割が見事に機能しなくなっている。

このような現代社会に、ともに暮らしているわれわれは、
“千葉の女児虐待事件”は、他人事ではないし、座視してはならない。
それぞれが「よく生き、ともに生きる」ようとすればなおさらである。
しかし、問題は複雑で難解な現代社会である。
われわれは、この問題を自らの問題として、どう関われるのだろうか。
われわれ個人のできることは、多くはないだろうし、継続は難しい。

しかし、自他を幸せにできる挨拶ぐらいは、個人の多少の努力で、出来るのではないだろうか。
その挨拶で自らを幸せにしていこう。幸せは余裕につながる。余裕は他者への配慮や思いやりにつながるだろう。
多くの人々がそのことに気づき、浸透すれば、
意識的な“よい挨拶”は自分を変え、社会を変えていくきっかけになるかもしれない。
家庭でも、地域でも、学校でも、職場でも、あらゆる場面で、“幸せが交換できる”よい挨拶を普通に出来るようになれば、
親の子に対するに限らず、社会に蔓延しているいわゆる“虐待やいじめ”も、
問題解決に向け、少しはその歩みを進められることになるのではないだろうか


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